ヘルパーステーションえにし > 声
トイレの工事費を申請しようと市役所へ電話をしたところ「お姉さんはどうしていますか?」と聞かれ、「一緒に生活しています。」と答えたら「介護施設を利用したほうが補助金を出しやすいです。プリントを送るので一か所選び報告して下さい。」とのこと・・。
プリントには ”えにし” と。
住所は近いし、ひらがな3文字で書類を書く時楽でいいと思い選び報告しました。
はじめのうちは、掃除が主なようでした。
何年ころかそれまで料理を手伝っていて下さった今のケアマネさんがKヘルパーさんを連れて来て台所で色々説明されていました。それから後は 色々な方に入ってもらい姉共々お世話になって来ました。 (O様自筆の文章)
「お姉さんの件ですが、病院にしますか? 自宅でみられますか?」と聞かれ、私は「この家で苦労をしてきた姉ですので自宅で看取ります。」と申しあげました。
「わかりました。出来るだけえにしでお手伝いさせてもらいます。」との言葉でした。
それからは食事の介助や身体の介助などの日々が続きました。来て下さる方お一人お一人がそれぞれ個性がありみなさん優しく接して下さいました。デイサービスに車椅子で行く時も手を振って出掛けていきました。
しかし、食事も通らなくなり「食事をやめましょう」と訪問看護師さんに言われました。
私は、「とんでもない!美味しい物を自分で作って食べていた姉です。それは困ります。」と、口をききました。
「それでは口に食べ物を入れますがすぐ吸いとりますよ」と。
それからは、お茶・味噌汁・煮物の汁など姉が好きだったものを少しずつ舌の上においてもらいました。
どのヘルパーさんもこの手間のかかる介助をおしみなく優しくやってくださいました。
「お茶を味わってにっこりしていらっしゃいましたよ」と様子を聞きました。
私は、ひらがな3文字を選んで良かったとしみじみ思いました。
平成24年10月5日、早朝に姉は息をひきとりました。
えにしに電話をすると社長さんが看護師さんの手配をして下さいました。
二人の看護師さんが駆けつけてくださり、主治医の先生の連絡やら身づくろいなどをしてくださり静かにお帰りになりました。
「美しいお顔で眠っていられますよ」との言葉を残して・・・。
私は 、悲しみよりもホットした気持でした。静かに息が止まってから首の下に入れた右手で緩和ケアを左手で体をさすりながら感謝の言葉と大国様の歌を歌いながら別れました。
何度も申しあげますが、えにしを選んで本当に良かったと思います。姉がお世話になったころのえにしは今の制度と異なり看護師さんも居られ、社長さんを始め皆々様のお人柄の良さが集結した素晴らしい時期でした。今も変わりないと思います。
お世話になりました皆々様に、ここにあらためて深く感謝申し上げます。
えにし えにし えにし ですよね。
さて、これからが問題です。
全盲難聴の老人が八十路の坂を登り始めました。何年続くかわかりませんが出来るだけ自宅でお世話になりたいと願っています。
どんな自分が仕上がるか楽しみですね。皆様あきないでご期待くださいませ。
私のえにし様
平成27年6月23日
中野市在住 O.様より
えにしさんのヘルパーの皆様に来て頂くようになって一年4ヶ月。
お昼と夕方 一日二回。
美味しいお食事やお話をうかがうのをとても楽しみにしています。
これからもよろしくお願い致します。
中野市在住 H.様より
< スタフッより >
O様、H様 温かいお言葉をありがとうございます。
利用者の皆様が、安心して日々を暮せる様にヘルパー一同頑張っていきたいと思っております。
利用者様の笑顔に支えられ、これからも出会えたご縁を大切にしていきたいと思います。
( ご利用者様の作品 )